「東京物語」 (1953) | 小津安二郎 監督 |
「二十四の瞳」 (1954) | 木下惠介 監督 |
「トウキョウソナタ」 (2008) | 黒沢清 監督 |
「鉄道員」 (1999) | 降旗康男 監督 |
「めし」 (1951) | 成瀬巳喜男 監督 |
「若者たち」 (1967) | 森川時久 監督 |
「ウホッホ探検隊」 … Continue Reading ››
TVドラマ「HR」は最高のシットコムでSHOW?
![]() ■ それはともかく、そうなんですね!「HR」は公開収録だったんです。毎回お客さんを100名ほど入れて収録したものを放送するという、舞台みたいな、吉本新喜劇みたいな収録方法だったようです。 もちろん、収録時に聞こえる観客の笑い声もそのまま放送されていたので、アメリカのシットコムとそれほど変わらない番組形式になっています。放送回数もアメリカの地上波は通常24話ですので、「HR」の23話というのもほぼ一緒ですね。 セットを囲んで複数台のカメラが設置されていて、出演者の動きに合わせてダイナミックにカメラも動きながら撮影するという過酷な収録だったようです。 職員室と、教室と、食堂の3つの場面を使ったセットになっていたのですが、実際、収録中に主人公の香取くんは、この3つの部屋を走り回っていました(笑) Continue Reading ››
「ライムライト」は最高のエール映画でSHOW?
マック・セネットのすべて
![]() 英語表記は、Mack Sennett、1880年1月17日に生まれて、1960年11月5日に亡くなっています。チャップリンより10歳近く年上で、グリフィスよりは5歳ほど年下ということになります。サイレント映画時代真っ只中ですね。 この人もパワフルな人で、生涯に700本以上をプロデュース、350本以上に出演、300本以上を監督、100本近い脚本を書いたということですからビックリですよね! マック・セネットは、あのチャップリンをスカウトして映画の世界に引き込んだ張本人です。チャップリンはセネットが設立した映画会社キーストン・ピクチャーズ・スタジオに所属して多くのコメディ映画に出演し、監督も務めています。 もっともチャップリンの自伝映画「チャーリー」を見る限り、チャップリンとセネットは仲がこじれてしまい結局チャップリンが独立してしまっていますが、チャップリンにとってセネットは、映画の基礎を学ぶ機会を与えてくれて、映画界の扉を開いてくれた恩人であったことは間違いないでしょう。 ちなみにセネットはアメリカに移住してから製鉄所で働いていましたが、ニューヨークの舞台を経て俳優として活躍するようになり、D・W・グリフィスやメアリー・ピックフォード、メーベル・ノーマンドらと共演もしているんですね。すごいな~! チャップリンがいたキーストン・ピクチャーズ・スタジオの頃には、所属俳優のハンク・マンが考案した警察ギャグ集団「キーストン・コップス」というキャラが人気だったようです。ちょっと太っちょの警官姿は、一度は見たことあるかも? 1917年にはマック・セネット・コメディーズという映画会社を設立し、「海水着美人」というサイレント映画で一躍有名になります。映像をみればわかるんですが、これだけ水着の美女たちがたくさん出演していれば誰だって気になりますよ(笑) ![]() 「醜女の深情け」(読み方は、しこめのふかなさけ。原題は「Tillie's Punctured Romance」)はチャップリンが出演していることから、日本では「チャップリンの醜女の深情け」というタイトルになっていますが、実はチャップリンは主役ではないです。 セネットが監督で、主演はマリー・ドレスラー。助演は詐欺師役のチャップリンとメーベル・ノーマンドというキーストン社の大スター・コメディエンヌ。余談ですがセネットとメーベルは交際していたとも言われています。 というわけで言わばこの作品は、当時のキーストン社のコメディアン達が勢ぞろいした、なんとも豪華な作品なんですね。 セネットは喜劇王と称されており、その名前は、歩道にスターや映画界に貢献した人の名前が星型のプレートに彫られていることで有名な、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにも刻まれています。 ⇒ TV・映画監督の一覧ページへ戻る
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