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「十五才 学校IV 」は最高のエール映画でSHOW?

映画「十五才 学校IV」は2000年公開の映画です。  
 
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「学校」は最高のエール映画でSHOW?

映画「学校」は1993年公開の映画です。  
 
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山田洋次のすべて

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歴代の日本アカデミー賞 受賞一覧

このページでは、日本版アカデミー賞の歴代全受賞作品を一覧にしてみました。 1978年からやってるんですね~。結構、歴史がありますね。なかなか冒険した作品も選ばれてます。たまにコメディ作品も取り上げられてますね。 第1回は山田洋次監督の作品で、その後も3回くらい選ばれてますな。さすが~たしかに最高にいいです。「幸福の黄色いハンカチ」「息子」「学校」「たそがれ清兵衛」。ちなみに「男はつらいよ」はランクインされてないんですね(笑)不思議。 あと黒澤明が脚本を書いて結局生前には作れなかった映画「雨あがる」が受賞していますね。これも最高のエール映画。 アニメではジブリの「千と千尋の神隠し」が受賞した年もあったんですね。こうしてみると受賞作品には、たしかに良い映画が多いなー☆ あ!北野武監督の映画がまだ選ばれてないんですね。「菊次郎の夏」とか「HANA-BI」とか良かったけどな。 あら!あと三谷幸喜さんの映画も選ばれていませんね。「ラヂオの時間」とか傑作だったけどな~☆ 日本ではいまいち評価されてないけど、世界では評価されている作品もたくさんありますからね。文学で言えば、太宰治みたいな(笑) 公式サイト見ると、だいたい毎年3月に授賞式が開催されているみたい。 ※カッコ内の年は受賞が発表された年です。
第37回(2014)「舟を編む」
第36回(2013)「桐島、部活やめるってよ」
第35回(2012)「八日目の蝉」
第34回(2011)「告白」
第33回(2010)「沈まぬ太陽」
第32回(2009)「おくりびと」
第31回(2008)「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」
第30回(2007)「フラガール」
第29回(2006)「ALWAYS 三丁目の夕日」
第28回(2005)「半落ち」
第27回(2004)「壬生義士伝」
第26回(2003)「たそがれ清兵衛」
第25回(2002)「千と千尋の神隠し」
第24回(2001)「雨あがる」
第23回(2000)「鉄道員(ぽっぽや)」
第22回(1999)「愛を乞うひと」
第21回(1998)「もののけ姫」
第20回(1997)「Shall we ダンス?」
第19回(1996)「午後の遺言状」
第18回(1995)「忠臣蔵外伝 四谷怪談」
第17回(1994)「学校」
第16回(1993)「シコふんじゃった。」
第15回(1992)「息子」
第14回(1991)「少年時代」
第13回(1990)「黒い雨」
第12回(1989)「敦煌」
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渥美 清のすべて

※TV版および映画版の「男はつらいよ」に関するネタバレが多数含まれています。ネタバレが嫌な方は読まないでね。ただ「男はつらいよ」はネタバレしてても十分楽しめると個人的には思いますけどね(笑)  
 
渥美 清(あつみ きよし, 1928年3月10日 - 1996年8月4日:満68歳没)は、日本の台東区出身の俳優です。  
渥美さんといえば、国民的人気のあの正月映画「男はつらいよ」のフーテンの寅こと車寅次郎役のイメージが強いですよね。
 
この山田洋次監督の寅さんシリーズは全部で48作あり、映画のシリーズで最多記録の作品としてギネスにも認定されました。渥美さんは実に27年間も寅さんを演じてきたというからすごい!
 
もちろん、寅さん以外にも出演作はあり、「泣いてたまるか」「馬鹿まるだし」「学校」「幸福の黄色いハンカチ」「キネマの天地」「ダウンタウン・ヒーローズ」などにも出演していて、映画「八つ墓村」では、なんと金田一耕助を演じています。渥美さんの金田一は、ちょっと想像つかないですよね(笑)
 
「男はつらいよ」は映画が有名かもしれませんが、実はもともとはテレビドラマだったんです。知ってましたか?1968年10月から1969年3月までの半年間26話が放送されました。
 
ただ、TV版「男はつらいよ」の最終回で、寅さんが鹿児島県の奄美大島へ行きハブにかまれて死んでしまうという終わり方をしたものですからファンから猛反発をくらい、映画化して復活させたという経緯があったみたいです。たしか渥美さんの追悼番組で山田洋次監督が語っていたと記憶しています。寅さんは、TV版の時から大人気のキャラクターだったんですね。  
 
「男はつらいよ」ではオトボケ・キャラの寅さんを演じていた渥美清さんですが、プライベートは謎なことが多いですね。普段は、様々なお笑いの舞台やライブ、芝居などに足しげく通っていたそうで、演技の勉強や笑いの勉強をしていた勤勉な暮らしぶりだったとか。
 
渥美さんが亡くなってしまった頃、関口宏さん司会の「知ってるつもり?!」という毎回誰か1人の人生を詳しく振り返るという、今でいう情熱大陸みたいな番組がありましたが、そこで渥美さんの追悼企画があり観たときには非常に興味深かったです。(もしかしたらNHKの「渥美清の伝言」というインタビュー番組だったかも?)
 
1954年に肺結核をわずらい右肺を摘出していたとか、晩年は趣味で俳句をやっていて「風天」という俳号を使っていたらしいです。句集も発売されました。
 
少し文学的な話になりますが、たしかこれも「知ってるつもり?!」で紹介されてましたが、例えば「赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする」という句が紹介されてました。テイスト的には種田山頭火のような感じですかね?僕は結構こういうテイスト好きだなぁ。
 
こういう句を読んで思い出すのは、渥美さんが「役者なんて所詮1人。だけどサラリーマンにはサラリーマンの悲哀があるんだろうな」みたいな寂しさを語っていたこと。晩年は共演者にも黙って東京は御茶ノ水にある順天堂病院に通っていたということもあって、ファンの人に言い寄られてもあまり応えることはなかったようなんですね。そのことに対して「スーパーマン役の俳優にファンの子供たちが飛んでくれって頼んだらしいけど、スーパーマン実際には飛べないもんね。寅さんが愛想が良過ぎたのかな」なんておっしゃっていたのが、とっても印象的でした。
 
またプライベートと仕事をキッチリ分けたいタイプだったらしく、タクシーからおりる時も自宅から少し離れた場所で降りることを常にしていたというから、すごい徹底ぶりですよね。自宅とは別に原宿に勉強部屋として部屋を借りて、よく1人でこもっていたらしいです。
 
1988年(昭和63年)には、紫綬褒章を授与され、死後に国民栄誉賞が贈られています。渥美さんはあまり自伝などを書くタイプではないですが、それでも対談や句集など著者となっている本は、以下の3冊が発売されているようです。
 

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