古典映画、白黒映画、名作、クラシック映画・・・、呼び方は色々ありますが僕は古い映画が大好きです♪
このページではそんな大好きな古典映画から、現代までの映画史を作品中心にざっと観て行きましょう☆
まずは映画というものがいつ頃に発明されたのかを知っておきましょう。
映画というか映写機が発明されたのは1900年よりも数年前くらいです。アメリカのエジソンやフランスのリュミエール兄弟らがそれぞれ競い合うように開発に尽力していた時代です。
ちなみに最初はモノクロ(白黒)の映像だけで、音声はナシのいわゆるサイレンス映画(無声映画)というものでした。
それでも、リュミエール兄弟がパリで初めて行った試写会では、汽車が迫ってくる映像を見て観客達は逃げ出そうとしたくらい衝撃的だったそうです。
・1900年代
この時代に有名な映画と言えば、元マジシャンで世界で最初の職業映画作家でもあるジョルジュ・メリエスが作った初めてのSF映画「月世界旅行」です。1902年にフランスで公開されました。
また、アメリカではエドウィン・ポーター監督による物語性のある作品『大列車強盗』が制作・公開されました。これが初の西部劇です。
ちなみに、この頃にはニッケルオデオンという、映画館内で上映中に、映像と合わせてオルガンやピアノで伴奏をつけるという形式の庶民向けの安い映画館もたくさん出現しています。ニッケルとは5セント硬貨の意味で、オデオンとは屋根付劇場というギリシャ語です。最初はペンシルベニア州ピッツバーグにオープンしたと言われています。
また、映画の業界雑誌「VARIETY」誌が創刊されたのもこの時期です。
1908年にはトーマス・エジソンらが映画の撮影・上映・配給の特許を管理する会社モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(Motion Picture Patents Company:略してMPPC)を設立します。事業を統括して映画産業を独占しようとしたんですね。エジソンは発明王としてはすごいですが、ビジネスマンとしては少々強引な気配がありますな(汗)
・1910年代
さて、さらに1915年にはアメリカの映画監督D・W・グリフィスが「國民の創生」を製作します。この映画では初のクローズアップなど様々な映画技法を発明し「映画の父」と呼ばれるようになります。
何を隠そう、このグリフィスこそ、ダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードの師匠であり、その後この3人とチャップリンの4人でユナイテッド・アーティスツという映画会社を設立した人物です。
また、グリフィス映画の俳優でアシスタントだったマック・セネットが、借金をしていた相手に「グリフィスの映画より儲かる映画が作れる」と話を持ちかけ、さらなる投資を得てキーストン撮影所をたちあげる。ここで「キーストン・コップス」や「水着美人」などのヒット・コメディ映画が生まれ「笑いの工場」と呼ばれるようになる。
このマック・セネットこそがチャップリンを発掘した人物であり、キーストン撮影所でチャップリンの有名な「浮浪者スタイル」も確立されました。
・1920年代
1920年代にはセルゲイ・エイゼンシュテインが、1つのシーンを複数の視点(カメラ)からとらえるというモンタージュ理論に基づき「戦艦ポチョムキン」を制作します。
1925年にはチャップリンの「黄金狂時代」が公開。
さらに1927年、アメリカで世界初のトーキー(音声付の映画)「ジャズ・シンガー」(アラン・クロスランド監督)が公開されます。1929年にはアカデミー賞が始まりウィリアム・A・ウェルマンの「つばさ」が初の受賞作品となりました。またF・W・ムルナウの「サンライズ」という作品が芸術作品賞を受賞しました。
・1930年代
1930年「嘆きの天使」が公開されマレーネ・ディードリッヒが衝撃的なハリウッド・デビューをします。
1932年オールキャスト映画「グランド・ホテル」が公開されて大ヒットする。翌年1933年には、最初のドライブイン・シアターがニュージャージ州カムデンにオープンします。
1934年にはフランク・キャプラ監督の「或る夜の出来事」を皮切りに、アメリカでスクリューボール・コメディが大流行します。
1937年ウォルト・ディズニーが3年を費やし製作した世界最初の長編カラーアニメ「白雪姫」が公開され、800万ドルもの興行成績を記録しました。
1939年エルンスト・ルビッチ監督の作品「ニノチカ」でめったに作中で笑うシーンを撮らなかったグレタ・ガルボの笑わうシーンを初めて盛り込む。
同年「風と共に去りぬ」が公開され大ヒットを記録します。大スターを起用して莫大な制作費と宣伝費をかけるといういいわゆる<ブロックバスター映画>のきっかけとなります。「オズの魔法使」が公開されて、ジュディー・ガーランドがMGMの看板スターとなります。
・1940年代
1940年には、チャップリンが「独裁者」を製作してナチズムを痛烈に批判します。1941年、オーソン・ウェルズが初の映画「市民ケーン」を発表。1942年「カサブランカ」が公開される。
1945年ニューロティック(精神異常)映画のはしりとなったビリーワイルダー監督の「失われた週末」が公開される。1946年アルフレッド・ヒッチコック監督「汚名」公開。同年MGM社製作のミュージカル「踊る大紐育」が公開される。
・1950年代
1952年サイレント時代にはライバルだった、チャールズ・チャップリンとバスター・キートンが「ライムライト」で初共演を果たす。同年ミュージカル映画の金字塔「雨に唄えば」が公開される。
1953年「ローマの休日」が公開され、オードリー・ヘプバーンがハリウッド・デビューを果たす。
1955年ビリー・ワイルダー監督、マリリン・モンロー主演の「七年目の浮気」が公開される。
・1960年代
1960年アフルレッド・ヒッチコック監督「サイコ」が公開される。1962年、48人ものスターを起用してノルマンディ上陸作戦を完全に再現した「史上最大の作戦」が公開される。
1965年「サウンド・オブ・ミュージック」が興行記録を塗り替える程の大ヒットを記録する。1968年「2001年宇宙の旅」が公開され、SF映画が一変するような衝撃を与える。
・1970年代
1977年ジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」が大ヒットする。
・1980年代
1980年大長編ドラえもん第1作「ドラえもん のび太の恐竜」が公開される。この年より大長編ドラえもんは25年連続で公開されました。
・1990年代
1993年、スティーブン・スピルバーグ監督が「ジュラシック・パーク」を公開する。
・2000年代
2000年代に入るとHD24Pというデジタル・ビデオカメラの登場に伴いデジタルシネマの動向が活発化しはじめ、
フィルムとビデオとの基本的な表示方式の違い(フィルムは24コマ/秒のプログレッシブで、ビデオは30コマ/秒のインターレース)によりテレシネという加工段階を経なければならずこれが大きな足枷になっていたのですが、HD24Pはフィルムと同じ形式での記録が可能であるためテレシネ加工が不要で、ダイレクトにデジタル加工(プルダウン)が可能という画期的な商品が発明されます。
2009年ジェームズ・キャメロン監督による「アバター」が公開され3D映画が大ヒットする。
ざっとこんなところでしょうか。
もっと細かく紹介していってしまうと、膨大な文字量になってしまい、読むのが大変になってしまうので割愛しましたが、世界的に人気を博していて、信頼に足るとの評価を得ている人気の映画厳選本としては
スティーヴン・ジェイ-シュナイダさんという方が書いた以下3冊がオススメです。
死ぬまでに観たい映画1001本 スティーヴン・ジェイ-シュナイダ著
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大好きな映画監督TOP3を教えて下さいと言われたら、誰を挙げますか?
私は、
チャールズ・チャップリン、 フランク・キャプラ、 エルンスト・ルビッチ、ビリー・ワイルダー の4人を挙げます。
TOP3なのに4人?と思われるかもしれませんが、迷いに迷った結果、ルビッチとワイルダーは師弟関係ということもありますので同率3位ということで、おおめに見て下さい<(_ _)>(笑)
古今東西、他にもたくさんの大好きな監督はいます。もちろん、日本の映画監督にだってお気に入りの監督はいます。
でも、映画の都、エンターテイメントの聖地と言えば、やはりアメリカ・ハリウッドで活躍してこそ本物だと思っていますし、ハリウッドの文化的ニオイが僕の好みに合っているんですね♪おおざっぱに言ってしまえば、娯楽的要素の強い文化かな☆
娯楽(エンタメ)色の強い映画はアメリカ、芸術性に富んだ映画はヨーロッパ、アニメは日本、こんな印象があります。
どれが良い悪いではなく、単純に相乗効果で、お互いが刺激し合いながら、ますます面白い作品がたくさん生まれてくれたら最高だなと思っています。
そして、そんな映画文化の中でも特にチャールズ・チャップリン、フランク・キャプラ、エルンスト・ルビッチ、ビリー・ワイルダー監督の4人は、エンタメの中心地ハリウッドから世界中に、すさまじい影響力を与えました。
今世紀に至ってもなお多くの人から愛され続けています。
アメリカで何年か前にアメリカ映画協会(American Film Institute:以下AFI)から選ばれた「元気をくれる映画(100 Cheers)」でNO1に輝いたのはフランク・キャプラ監督が1946年に撮った「素晴らしき哉、人生!」でした。
また、ビリー・ワイルダー監督については、今なお
ワイルダーファンであることを明言している映画監督 も多く、マリリン・モンローやジャック・レモン、オードリ・ヘプバーン、マレーネ・ディートリッヒ、シャーリー・マクレーンなど数々のスターとコンビを組み、娯楽映画と呼ばれる分野を徹底して楽しませてくれました。中でもマリリン・モンローを一躍大スターに育て上げた監督と言っても過言ではないでしょう。
そんなワイルダーが師と仰いでいたのがエルンスト・ルビッチ。ワイルダーは仕事場の壁に「ルビッチならどうした?(How would Lubitsch have done it)」という文字を飾っている程ルビッチを敬愛していたようです。ルビッチの映画は今観ても他の監督の作品では味わえないようなポカポカしたあたたかさであふれています。
そして今なお、やはり
リメイクされています ね。
チャップリンに至っては映画やコメディの代名詞ともいえ、今だに
彼の伝記映画がつくられ 、真似をするコメディアンが現れ、
作曲した曲がカバーされ 、そしてもちろん愛され続けている伝説的な人物です。彼の作品は今なお世界中の人に愛と勇気と夢を与えてくれています。
まさに、ハリウッド黄金期を盛り上げた歴史的な映画監督達と言えるでしょう。映画がなくならない限り忘れ去られることもない名作ばかりを残してくれた偉人達です。
そんな4人の監督ですが、さらにすごいのはこの4人が活躍した時代です。
なんと、ほぼ同時期に活躍しているんです!これはすごいことだと思います。初めて知った時にはすごくビックリしました。だって、僕の大好きな監督4人が同じ時代に生まれて活躍していたのですから!
1889年-1977年 チャーリー・チャップリン
1892年-1947年 エルンスト・ルビッチ
1897年-1991年 フランク・キャプラ
1906年-2002年 ビリー・ワイルダー
つまりチャップリンが45才の時、エルンスト・ルビッチは42才で、フランク・キャプラは37才で、ビリー・ワイルダーは28才だったということになります。
また面白いことに、4人ともハリウッドで活躍したにも関わらず、全員がアメリカ以外の生まれなんですね。
・チャップリンはイギリスはロンドンの生まれですが、アメリカの映画会社からスカウトされ渡米してきました。
・フランク・キャプラはイタリアはシチリア島生まれですが、小さい頃に家族と共にアメリカへ移住してきました。
・エルンスト・ルビッチはドイツ出身ですが、女優のメアリー・ピックフォードに招待されハリウッド入りしました。
・ビリー・ワイルダーはオーストリア生まれですが、戦争のためにアメリカへ亡命してきました。
そんな、言ってみれば外国人だった4人によって、アメリカのハリウッド黄金期が支えられることになるなんて面白いものですね。
せっかくなので4人の作品年表を作ってみました。
(
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彼らの作品の特徴は、どれも人間の普遍的な感情を表現しているということです。
だからこそ、もう半世紀以上も前に製作された映画が今なお時代を超え、国籍を超えて多くの人の心に響き、癒してくれる映画、元気をくれる映画として愛され続けているのだと思います。
彼らの作品の中には、興行的に失敗した作品もありますが(例えば、なんと「素晴らしき哉、人生!」は公開当時は以外にも興行的に失敗しています)、その作品が何年も経った後で見直され、あるいはリメイクされたりもしている。やっぱり良いものは良いんですね。
国が変わろうが、時代が変わろうが、人間である以上、本質的なことは変わらずに時を超越して映画を通して心が通じ合えているのが、とっても嬉しいですね☆
極論かもしれませんが、例えばチャップリン映画(特にサイレント作品)を見て原始人だって感動できるんじゃないかと想像してみたりします(笑)
そんなわけで、僕は白黒(モノクロ)だろうが、3Dだろうが、劇場で観ようがネットで見ようが、あまりこだわっていません。古い作品か新作か、デジタルかアナログか、ネオレアリズモなのかアメリカン・ニューシネマなのか、そんなことはどうでもいいと感じています。
大事なのは物語で描かれている人間の心の部分から何かを感じとって楽しむということ。それこそが映画を観る醍醐味じゃないかなと考えているからです。
みなさんも、古い映画を観てみたり、今まで観た事がなかった国の映画を観るなど、ぜひ様々な映画作品に触れて観て下さいね。
僕的にはまずは、
フランク・キャプラ 、
チャールズ・チャップリン 、
エルンスト・ルビッチ 、そして
ビリー・ワイルダー をオススメします♪
彼らの映画こそが映画の元を作っていると言っても過言ではないくらい、多くの映画監督に影響を与えているからです。
第二次世界大戦という悲劇的な激動の時代の中で生まれた、人類の希望、エール、まさに天才達です。
◆
フランク・キャプラ の映画で特にオススメな5本+α
・「素晴らしき哉、人生! 」
・「スミス都へ行く 」
・「或る夜の出来事 」
・「群集 」
・「我が家の楽園 」
※キャプラの生涯を描いたドキュメンタリー番組
・「フランク・キャプラのアメリカン・ドリーム 」
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